17歳の肖像』はしれっと強烈な偏見が反映されている感じがして、不可思議きわまりない映画だった。でも頭のいい、かわいい女の子が、資本主義に取り込まれやすいってのは、ありうるんじゃないかと思うな。
だいたい美人が、ブッキッシュな世界に馴染んだり、一心不乱に勉強したりってことは、ふつうには起こりにくいんじゃないか。「文化資本」と「経済資本」があるとして、「経済資本の箔付けのための/経済資本の証明のための、文化資本の獲得・誇示」(高学歴知的美人!)という戦略はありうると思うが、「経済資本に対抗して文化資本を誇示する」というインテリ戦略は、男か、美人ではない女でないと…(以下、自粛、男も「もてない男」の可能性あり)。
まあ、こんな世知辛い解釈が妥当なものであるとは個人的には思いたくないが、自分がもし美人に生まれたら、騙されたっていいから、資本主義システムから最大の効用を引き出すだろうと思う。もちろんニッチはどこにでもあって、「文化資本支配圏での希少価値(=美人基準のインフレ化)」(文化系女子、雑誌に出てくる女性書店員とか)なんかを狙う手もあるが(というのも世知辛い)。