つかれた。これはつぶやきだけど、自分は子どものときから、世の大人たち(テレビの中の人たちとか、周りの人間たち)がなぜこれほど自信満々に発言できるのかが理解できず、また日常においても、自分がどう振る舞うのが適切であるか、とくに問題を起こしたわけでもないけれど、いまいち自信がなく、さらにトランプとか麻雀とか、いまだに苦手だけれど、物事のルールを飲み込むのはかなり下手くそだった(とりあえず飲み込む前に、不器用に考え始めるのである)。その一方で、頑固なところはやたらと頑固で、ピューリタン的な原則主義者の側面もあった。ルールがうまく適応できない「理不尽」については、おそらく一般的な子どもとしては病的なくらい考え込んでいたんじゃないかと、いま、客観的に思われなくもない。小学生の頃、変人キャラを演じていたが、変人キャラを演じていたからそんな風になってしまったのか、それとももともと変人だったからそうだったのか。どっちだろうか(たぶん、どっちかである)。
そういえば、中学で最初に英語を習ったとき、スペリングと発音が違うことに驚き、中間テストで大コケして、再テストを課せられたことがあった。「規則性の存在しないスペリングを暗記することは、人間の脳の性能からしても、この英和辞典に収録されている単語の膨大さから見ても、合理的な努力であろうはずがない」という間違った解を導いたわけだが、まあ、自分らしい。