「没後四〇〇年特別展 長谷川等伯」(@国立博物館)。能登日蓮宗関係の仏画を描き、上洛してからは狩野派との緊張関係のなかで、肖像画水墨画、障壁画など、多彩な技法を習得している様子がうかがえる。作風も一貫性よりは多様性・革新性が目立ち、元信以降の伝統を継承する狩野派とは、若干ちがっている。ただし金碧障壁画の名作「楓図」などを見ても、狩野派的様式性よりは、奔放な生命力を感じさせる伸びやかな自然表現に美質があるのは確かだろう。「柳橋水車図屏風」の、平等院鳳凰堂へと向かう、月夜の緩んだ空気の浄福さも素晴らしい。中国絵画(水墨画)がたくさんあったのだが、やっぱり魏晋南北朝ってのはザ・チャイナだね(竹林の七賢人図、寒山拾得、牛の糞を焼いたり猫をぶった斬ったりしている絵が面白い)。「松林図」の濃霧が素晴らしいのはまったくであるが、千利休肖像画もなかなか良かった。全体像を見ていると、田舎から出てきて、他人を蹴落としてでものし上がろうとしたエネルギッシュな人物ではないか、という気もした。

水墨画の最高峰 「松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)」(国宝 東京国立博物館蔵)、金碧障壁画(きんぺきしょうへきが)の至宝「楓図(かえでず) 」(国宝 京都・智積院蔵)を描き、あの狩野永徳をも脅かした桃山絵画の巨匠、長谷川等伯(1539〜1610)。能登七尾(石川県)に生を受けた等伯は、はじめ「信春(のぶはる)」と名乗り主に仏画を描きました。30代で上洛すると画題を肖像画花鳥画 などにも拡げています。豊臣秀吉や、千利休らに重用され、一躍時代の寵児となりました。時に精緻に、時に豪放に描きわけられた作品群は、今もなお我々を魅了し続けます。http://www.tohaku400th.jp/midokoro.html