Nスペ「メイド・イン・ジャパンの命運」を視聴。日本の製造業は大変だネ。イノベーションが急速に陳腐化し、中国・台湾に真似られていくので、経済的優位性が保てないスキームになっている。東芝の百万円テレビは、素人目に見て見込みなさそう。せっかくイノベーションをしても、それが国内競争の激化と疲弊(したがって国際競争面での体力低下)を招くだけ、みたいなこともあるんじゃないかな。
ヒマな時間に柄谷行人トランスクリティーク』(岩波現代文庫)を拾い読みしてたのだが、長いわ、コレ。柄谷の、顔というか断言キャラというか、なんとなく角川春樹と雰囲気が同じような気がふとした(角川春樹は見たことないが)。*1。しかし「資本=ネーション=ステート」の社会を超えなきゃいけない理由って、けっきょく何なんだろうね。個別性−一般性(経験的)とは異なる位相における、単独性=普遍性(超越論的位相)の意味がやたらと強調されているのだが(だから、言語論的転回によってはカントの批判にはならないらしい)、この「単独性」と新しいアソシエーションとの結びつきって、どこまで必然的に要請されるのだろうかと、これは『世界共和国へ』を読んで確認したほうが手っ取り早そうだな。「単独性」とか言われると、何だそりゃって気がするわけだが。

*1:柄谷の顔は、大学入ってすぐの頃、大隈講堂まで拝みにいったことがある。甲陽卒(後輩)の柄谷ファンの友人に誘われ、すでに開始時刻を過ぎて締め切られていたのだけれど、「ここはワシに任せとき」とばかりの粘りの交渉が功を奏して、入れてもらったおぼえがある。懐かしい。