アラン・レネ『夜と霧』(1955)

ナチスによる大量虐殺が行われたアウシュビッツ強制収容所。錆びた鉄格子、無造作に並べられた粗末なベッド、ガス室、髪の毛の山。廃墟となっても人々の生と死の記憶がこびりついた収容所跡の映像と、当時のニュース・フィルムやスチール写真がモンタージュされた、アラン・レネによるヌーヴェルヴァーグ前夜の驚愕と戦慄のドキュメンタリー。(CV)

30分少しの短い作品。頭が切り離された死体や、ブルドーザーで廃棄される死体の山など、映像が凄かった。アウシュヴィッツは隣国の特殊な悲劇なのではない、との告発がなされるが、これがヒューマニズムに基づく告発なのか、ヒューマニズムに向けられた告発なのか、が問題だ。西欧的なヒューマニズムの思想こそが、ヒューマニズムの適応領域外に追いやられたユダヤ人たちを、「動物」のように扱うことを許容したわけだが、非理性的存在、すなわち「動物」だからといって、生命をこのように手段的に処遇して許されるものではない。西欧の生命観あるいは動物観そのものが諸悪の根源にあるように思われ、これだったら「無責任の体系」の方がマシ、という気すらする。
しかし強制収容所の労働力の供給過剰ぶりがすごい。労働力が足りているからこそ、使い捨て、人体事件が行われたのであって、収容所のもともとの全体計画は何だったんだろう、と疑問に思った。