毎朝、自転車で疾走しているうちに、しばれるぜ、指にしもやけ、かゆいなあ、手ぶくろ買って、ケアしないとなぁ(七五調)。今日も無睡眠(自由律俳句風)。
中沢新一渡辺公三氏の対談を聞きに新宿へ。たまたまの思いつきだが、行って良かった、腑に落ちた(七五調)。「クロード、クロード、セルバンテスをやっておくれ」と請われ、幼少期のクロードは暗記した『ドン・キホーテ』を演じて喝采を浴びていたというが、こういうイメージを伝える才能にかけては、中沢新一はいつもながら卓越している。「闘うレヴィ=ストロース」はバブ−フ狂いに淵源し、かれの社会主義運動への傾倒は、悲しき熱帯のロマンティシズムよりはむしろドン・キホーテ精神の発露としてあり、神話論理は透明なコミュニケーションと障害物の関係性のパターン分けとして理解できるが、これはもちろん犬とぶつかった(『透明な散歩者』)ルソーの主題に由来するものであって、しかし透明なコミュニケーションという「神」の代替論理は、ルソーを近代の病と矛盾のうちに追いやったのであるから、前向きで健康的なレヴィ=ストロースとはおのずから差異を認めねばならない。まあ、あとはあんまり書かないが、具体的なイメージが結ばれた気がしたので予想以上に収穫であった。