酒見賢一墨攻』(新潮文庫)を読了。名作。非攻と兼愛を旨とする墨子教団の革離が、たったひとりで小さな城の防備にあたる。きわめて禁欲的な勤労倫理、工人としてのプライドと異能、義の前に死を厭わない「任」の思想が印象深く物語られ、諸子百家の時代のイメージが眼前に浮かんでくる。防御戦の描写がすさまじい(穴攻が凄い)。「中国という国は、あるいは民族は古来からいかなる思想が入ってきても、それを排斥することなく消化してきた。そういう強靱な胃袋をもってしても墨子の思想だけは消化できなかったようである。墨子の思想はそれほど中国にとって異物だったのだろうか。/あるいは消化したのかも知れない。秦の始皇帝が用いた思想は法家のものであった。しかし、具体的な組織のモデルとしては墨子教団があり、それを容れたとも言える。墨者は秦を飲み込めなかったが、秦が墨者を飲み込んでしまったという推測が成り立つ。/また墨者が好んだ「任」の一字は姿を変えて、太平道五斗米道などの民衆運動になった。中国の宗教結社の始源は墨子教団であったかもしれない。弱気を助けて強きを挫く、己を捨てて他人のために尽くし、死すとも節を曲げないという「任」の精神は「水滸伝」や「三国志演義」の中に生き続け、民衆に好まれた。」(144)

墨攻 (新潮文庫)

墨攻 (新潮文庫)