谷川稔『国民国家ナショナリズム』(山川出版社)。
プロイセンによる統一は、「自由・平等・友愛」といった普遍的なシンボルを掲げておこなわれたのではなく、逆に自由主義や民主主義の波及を封殺する王朝連合のかたちで実現した。プロイセンはその群を抜いた経済力と軍事力を背景に、「宿敵フランス打倒」を旗印にしたナショナリズムの戦い(普仏戦争)を組織したが、対立する諸邦国を結びつける文化的な絆は「父祖伝来のドイツ語を話すドイツ人」意識にほかならなかった。各地域の政治的・文化的分立状況は認めたうえで、経済的利害の共有と人種・言語ナショナリズムによって、どうにか大義名分を調達することができた。つまりドイツ・モデルは、歴史的には分邦主義の克服という課題のために、より原初的・客観主義的なかたちをとらざるをえなかったのである。」(49−50)
「要するに、国民統合のドイツ・モデルでは入り口でセグレガシオン(選別)が厳しくおこなわれており、人種的・拝外主義的国民形成に陥りやすいが、そのために内向きには強制的・集権的同化政策をとる必要はないということになる。……」(51)
バルト地方発祥のプロイセンにおける、非ドイツ的性格。危うい領域的統合性を「客観主義的」なシンボル(言語)によって補完・強化。
「これにたいして、フランスでは国家(共和政)原理への賛同があれば、国民としての基本的権利(義務)を享受することができる。いわば主観主義的統合原理に立っている。移民二世でも国内で出生すれば無条件であり、「国民」の入り口でのセグレガシオンはきわめてゆるやかである。「住民の主体的参加を基本とする市民的・領域的ネイション」(スミス)といってよい。」(51)
「……私的空間での人種的・宗教的多様性を容認している分だけ、公共空間での一体性、文化の平準化をいっそう求める結果となる。」(53)
フランスの領域的継続性はドイツにはなかった要素。王朝連合のような政治的境界性の不安定性には悩まされなかった。「日々の住民投票」のような、意志的(主観主義的)な統合が重視される。19世紀をつうじた教権との対抗関係も(普仏戦争後の公教育改革)、理性主義的な公共性への要求を高めた。
イギリスはイングランドスコットランドウェールズアイルランドが穏やかに重層的アイデンティティを形成。
血・言語(ドイツ)、理性・投票(フランス)とすれば、アメリカは「自己実現・業績」か?斎藤真『アメリカとは何か』(平凡社)。「自己の選んだ行為に基づく達成」(社会的倫理)は「自己が神により選ばれたことの象徴」(宗教的倫理)であり、これを保障する「機会の平等」(政治的にはデモクラシー)の保障がアメリカのナショナル・アイデンティティの中核をなす。これは、ヨーロッパからの空間的切断によって確保されたものであり、農本主義とデモクラシーの純粋理念は、次いで東部エスタブリッシュメントからの空間的切断という形へと移行した(西漸運動)。
孤立主義の公の声明ともいうべきモンローの教書(一八二三年)も、ヨーロッパにおける神聖同盟に象徴される専制主義からアメリカ大陸における共和・民主主義を守るという発想がその根底に流れている。独立によって達成された新体制は、孤立によって確保されていかなければならないのである。場の精神は場を超越して主張される普遍的精神に対しては、当然神経質たらざるをえない。神聖同盟に代表される正統主義という原則、ヴァティカンを拠点とするカトリシズム、そして時代は下るが、クレムリン宮殿を根城とする国際共産主義に対して、アメリカはいかにも神経質に対応してきた。そこには、一種の精神的孤立主義の趣、外部からの異質的な思想の流入に対する強い警戒心さえ認められた。」(38)
「しかし、成功の夢は、外部からくつがえされないように安全に隔離・孤立されなければならないが、まさしくそれが「成功」の夢であるが故に、それは外部にも顕示され、拡大されなければならない。」という矛盾。ちなみにモンローはジェファソンの後輩(ジェファソンは農本主義者でハミルトンの経済主義とは対照的。アメリカの農業が伝統主義的というよりは資本家的かつピューリタン的という指摘。)。
特定の領域性へのコミットは消極的な形でしかなされない(汚染されたヨーロッパ文明からの隔離)ので、ある意味、ナショナリズムの臨界点に達しているともいえる。