中国思想が気の一元論だとして、水と火のように互いに打ち消し合うものをどう考えるか。鄒衍の名で知られる陰陽五行説は二元論を導入して、これに対応した。陽爻(ようこう). 陰爻(いんこう)を三段に重ね(2の3乗=八卦)、乾・坤・震・巽・坎・離・艮・兌(けんこんしんそんかんりごんだ)の八卦をさらに二段に重ねることで、64通りの世界観を筮竹で占うのが易である。
さて、いっさいの個物は、他のあらゆる個物から区別される。あらゆる属性が共通であるような、複数の「個物」は存在しない。ライプニッツモナド

個物が個物であるとは、だが、どのようなことがらだろうか。個物が、ほかでもない、その個物であるためには、その個物は、他のいっさいの個物から区別されていなければならない。しかも、個物こそが基本的な存在者であるならば、その個物自体において区別されている必要がある。その個物を当の個物とする属性のすべてが問題の個物に内属し、他の一切の存在者からの差異そのものが、個物に内在しているのでなければならないのである。(熊野純彦『西洋哲学史 近代から現代へ』:62)

「ある個体についてなりたつすべての述語は、その個体概念としての主語のうちにすでにふくまれている」。「ある個体が、それ自体として、世界内部の他の存在者の総体から区別されるとは、その個体が、それ自身のうちに他のすべての個物との差異と関係を宿しているということである」。
陰は陽を前提し、陽は陰を前提する。区別は、存在者の内部に折り返される。個物は凝縮された世界のすべてである(一元論)。ライプニッツは中国好きだったらしい。