芥川賞朝吹真理子(26)と西村賢太(43)。西村氏の小説は、目をかけていた後輩が慶応の女子大生とヤリまくっているのを知ってモテない主人公が嫉妬する、という内容を含むらしい(SPA情報)。この二人の並びは秀逸かも。
朝吹真理子氏は動いている映像を初めて見た。写真だけ見てても、美人なのかどうなのか、ぜんぜん分からなかったんだよね。それにしても批評で「完成度が高い」的な言い方をする人がけっこう多い気がしていたのだが、こういう誉め方ってどうなんだろうか? ある意味、いびつな感じがしないでもない。何というか、高い文化資本を超効率的に蓄積してしまったお嬢さんというのは、(こちらの田舎者根性とか僻みとかは不問にするとして)例えば「天才子役」を見て感じるのと同じような、或いは、品種改良の果てに出来たブルドッグとかダックスフンドを眺めるような…、いや、これはやっぱり僻みだな。いや、べつに僻んだっていいんだけどさ。まあ、最初から「完成度」という物差しで測られることのおかしさというのはあるよね。例えば、「これは完成された小説だ」って、すでに何か変なわけで。完成された絵画だ、とか、完成された画家だ、とかも。