ベルナルド・ベルトルッチ『暗殺の森』(1970)

Il Conformista 一九二八年から四三年までの、ローマとパリにおけるファシズムがおこってから崩壊するまでの物語。製作はマウリツィオ・ロディ・フェ、監督・脚本はベルナルド・ベルトルッチ、原作はアルベルト・モラヴィアの「孤独な青年」。撮影はヴィットリオ・ストラーロ、音楽はジョルジュ・ドルリューが各々担当。出演はジャン・ルイ・トランティニャン、ステファニア・サンドレッリドミニク・サンダピエール・クレマンティなど。(goo映画)

少年期のトラウマを抱えた哲学講師マルチェロ(トランティニャン)は、熱烈なファシストとして恩師カドリを暗殺するよう命じられ、婚約者のアンナ(ステファニア・サンドレッリ)と新婚旅行の名目でパリに向かい、そこでカドリの妻アンナ(ドミニク・サンダ)と出会う。
優柔不断なファシスト(conformista=体制順応主義者)という設定がいい。マルチェロは恩師カドリの「プラトンの洞窟の比喩」の講義を再演してみせたうえで、しかし洞窟に照らされた偶像の影は、それとして真実性をもつのではないかと反論する。かつて人を殺し、狂気を孕む自我(自己の分裂)に怖れを抱くマルチェロは、ファシストとして現実を虚構と見なして、仮構の生を生きているのだが、虚構なり仮構なりといったニヒリズムは、同時にそれを超える「力への意志」と表裏一体に生きられてもおり、「洞窟の影」と「生の真実」との関係は一筋縄ではいかないのである。赤・青・黄・白の色彩が覆う汽車の客室、明滅するホテルの部屋、幾何学的な影の差す空間など、現実は虚構として歪められているのだが、しかしその虚構はまぎれもない真実性を帯びもする(『ラストエンペラー』の紫禁城は「観客のいない劇場」だった)。買い物とダンスとセックスにしか興味のないステファニア・サンドレッリは、あまりにも薄っぺらであまりにも美しいし、唐突かつ不連続に呼び出される記憶は、時間の流れに背きながらも、時間の真正さを実現する(あるいは現在性の優越)。贋物と本物が目まぐるしく反転し、真面目と滑稽とが入れ替わる。
これぞ、ファシズムという感じがしたのだが、もしかしたら気のせいかもしれない。とにかくすばらしい傑作だ。あとマルチェロが「自分の〈虚構の人生〉の虚構性」に気づく「どんでん返し」があるのだが、これを「虚構の外部に真実が存在する」という意味で「どんでん返し」と解釈するのは良くないという気がする。マルチェロの自我はもともとどうしようもなく分裂していたのであって欲しい(願望?)。