黒澤明『影武者』(1980)

(180分・35mm・カラー)武田信玄の影武者に仕立てられた男の視線を通して、崩壊する武田家の悲劇を描いた大作。『どですかでん』から10年振りの日本映画となった本作は、製作発表以来、F・コッポラとG・ルーカスによる海外版プロデュース、日本初のワールド・プレミアなど多くの話題に包まれ、カンヌ国際映画祭ではパルム・ドールを受賞した。
'80(黒澤プロ=東宝)(監)(脚)黒澤明(脚)井手雅人(撮)斉藤孝雄、上田正治(美)村木与四郎(音)池辺晋一郎(出)仲代達矢山崎努萩原健一根津甚八大滝秀治、隆大介、油井昌由樹、桃井かおり倍賞美津子室田日出男志村喬藤原釜足 (FC)

黒澤ほんと凄いわ。ルネサンスからマニエリスムへは半ば必然的な移行過程だとしても(黒澤にもそういう要素があると思う)、そこからバロックへは連続しているのか断絶しているのかちょっと分からないのだが、ある種、バロック的な王の権力機構の解剖が随所でなされているといえる。もちろん、王と乞食(罪人=影武者)という道具立ては定型そのものではある。影武者の男は「磔にされた気分を思い出せ」と言われて、王の威厳を身にまとうのであるが、秩序の外部において秩序をささえる王と、生命すらもが蕩尽される非日常の祝祭空間に属する罪人・乞食の位置とは、基本的に同じであって、「人とその影」とはプラス/マイナスの従属関係にあるよりはむしろ、表裏一体の相互依存関係にあるわけだ。
しかしこの作品の主眼は、秩序とカオスのダイナミズムや、あるいは権力機構の暴露にあるのではなさそうだ。明らかに、秩序の向こう側からまなざされた、一種の無常観に焦点が据えられている。だから「カオス」や「非日常」といった語彙はこの場合、必ずしも適当だとはいえない。権力や現世が空しいのは自明であり、秩序が秩序でなくなるゼロ地点、予兆としての崩壊をふくんだ世界、または世界の崩壊過程(崩壊をつうじて感受される世界の有り様)こそが、闇夜をピンク色に染める戦火、影武者の見た悪夢、虹色に変色する空、長篠の合戦のあとの死体の数々などによって、描かれた内容であると考えられる。王のいる世界と、王のいない世界。仲代達矢はすごいね。