黒澤明『赤ひげ』(1965)

(185分・35mm・白黒)「医は仁術」を実践する小石川養成所の医師“赤ひげ”の物語。3億円近い製作費と足掛け12ヶ月に及ぶ撮影期間をかけた大作で、養成所の大オープンセットや小道具へのこだわりも伝説化している。この後黒澤の作品歴には5年のブランクが生じ、三船とのコンビも本作が最後となった。ヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジョ賞を受賞。
'65(黒沢プロ=東宝)(監)(脚)黒澤明(原)山本周五郎(脚)井手雅人小国英雄菊島隆三(撮)中井朝一、齊藤孝雄(美)村木與四郎(音)佐藤勝(出)三船敏郎加山雄三山崎努、団令子、桑野みゆき香川京子江原達怡二木てるみ、根岸明美頭師佳孝田中絹代笠智衆杉村春子 (FC)

ビデオで見た記憶があるんだが、スクリーンでちゃんと見るのは初めて。力作という意味ではケチのつけようがない。「世界のクロサワ」はやっぱり黒沢清じゃなくて、黒澤明だよなと思わされる。なんだかんだいって凄いのだ。
(1)診療所でストライキを決め込むヤスモト(加山雄三)が、狂女(香川京子)に襲われたことをきっかけに心を入れ替える。(2)重病人の佐八(山崎努)が、死の床で女房への愛を語る。(3)女郎屋で虐げられていた少女・おとよ(二木てるみ)が診療所に引き取られ、人間らしい心を取り戻す。という、3つの部分にひとまず分けられる。
まずは(1)香川京子が(溝口健二いうところの)「反射」している演技が素晴らしい。というか、あきらかに溝口へのオマージュだよなと気付かされる。(2)はもしかすると出来の劣る部分かもしれず、社会主義映画のような泥臭いヒューマニズムがやや図式的。とはいえ、地震で長屋が崩れるシーン、佐八が女房と橋の上で再会するシーン、どしゃぶりの豪雨が地滑りを引き起こすシーンなど、忘れがたく印象に残る。(3)のおとよ(二木てるみ)は圧倒的に素晴らしい。ヒューマニズムを観念ではなく、リアルで繊細な情感のうえに映像化してみせた点で、まるで成瀬映画のようだ(杉村春子も出てくるし)。カンペキな完成度。内容的にはドストエフスキーが下敷きらしいが。
同じ医者モノという意味では、『酔いどれ天使』と比較したくなるが、『酔いどれ』では黒澤にとっての「戦後民主主義」が、ヒューマニズムへと収斂されていく心理ドラマが描かれていたといえる。『赤ひげ』ではすでにヒューマニズムは確かな実質を備えており、ある面では内部から突き動かされるような衝動には欠けているのだが、しかしこれが形骸化したり偽善に陥ったりすることなく、赤ひげのやや屈折の混じったシャイネスのなかで生き生きと息づいているのは、やはり脚本レベルで深い。そのことはおとよの内的葛藤の緻密な心理描写を見ればわかることだ。ただし映画の中では加山雄三ヒューマニズムを誓う場面で終わるけれど、この赤ひげの「屈折」が戦後民主主義のその後の帰趨においてどのように変質していくのか(変質しないのか)は、ちょっと考えてみたほうがいいことではある。