「太宗公はまことに謎だらけのお方だ。…ホンタイジ、というお名前がまず怪しい。これはどう考えても漢語の皇太子(ホンタイヅ)であって、大清の立国までなした大王の名としてはちとおかしい。…もしかしたら、眷属の誰もが王として認めず、永遠に皇太子のままだったのかもしれない。…」
「もうひとつ、私のこの説を補強する事実がある。太宗ホンタイジ公は算え五十二歳で崩御されたが、そのご最期を伝える史料がない。そして、満洲軍が長城を越えるのは、崩御の翌る年だ。本来ならば国を挙げて喪に服していなければならぬときに挙兵をした。妙だとは思わんかね」(3巻:33)
長城を越えるかどうかでヌルハチと争った実の兄チュエンの魂は礼親王代善殿下に宿り、ふたたびホンタイジと対立することになったという説。
西太后の人物像についてのこの小説のアイデアは、やはりなかなか魅力的だ。
「おのれを亡国の鬼女としなければ憎しみは生まれない。憎しみを抱かなければ革命は成功しない。そしてすみやかに完全に革命が成功しなければ、この国はインドになる。老仏爺はそうお考えになった。」(3巻:91)
「私は若い自分に、宣教師たちが持ち寄った世界の地図をあれこれ眺めて、そのことを知った。どこの国でも、世界地図の中心は自分の国。つまり、地球はおのおのの国の主観と利欲によって動いているのだと、私はそのとき知ったの。」(2巻:439)
乾輶帝はカスティリオーネから双眼鏡を借りて、地球が丸いと言い出す。中国は天命を戴く中華の国ではないし、世界のすべてでも、世界の中心でもない。西太后は「人殺しの機械を作る文明」に対抗するために征服されることなく滅ぶ道を選んだ、という見立て。
ホンタイジとダイシャンの対立にせよ、乾輶帝と西太后の諦念にせよ、「龍玉」という道具立てに深いメッセージが込められていることは、とりあえず確実だと思える。そういえば『蒼穹の昴』でカスティリオーネキリスト教の愛をいつのまにか相対的なものと見なしていた。