黒澤明『わが青春に悔なし』(1946)

(110分・35mm・白黒)戦後第1作。占領軍の民主化政策に沿って、戦前の「京大事件」と「ゾルゲ事件」を題材にした久坂栄二郎の脚本を映画化。従来の日本映画には見られなかった原節子の強烈な女性像が話題となった。「これがはじめて僕にとっては”作品の上でものが言える”写真だな。だから、僕に反発する人とのアツレキがはじまったのもこの作品からなんだ」。
'46(東宝)(監)黒澤明(脚)久板榮二郎(撮)中井朝一(美)北川惠司(音)服部正(出)原節子、藤田進、大河内傳次郎杉村春子、三好榮子、河野秋武、高堂國典、志村喬、深見泰三、清水將夫、田中春男 (FC)

黒澤明にこんな作品があったとは驚いた。戦後直後の混乱状況が想像されるというか、溝口健二がワケの分からない作品を量産してしまったのを思い出したが、内容的にはほとんど極左映画である。『七人の侍』が「近代的主体の確立」をテーマにしていることは有名だが、それよりもずっと左がかっていて山本薩夫レベルに達しているかも。
「京大事件」で追放された大学教授の娘で、ブルジョワ生活を謳歌していた原節子が、父の教え子で検事として出世を果たす男と、革命運動に挺身する男との間で三角関係に陥り、結局は革命を志す男の妻となる。その後、夫は留置場で急死し、原節子は夫の実家で「スパイの家」と罵られ村八分に遭いながら苦しい農業に従事する。戦後、農村指導者としての生活が始まるところで映画は終わる。
インテリの農村のコンプレックスが興味深かった。農村を救うために理論を学ぶのだが、理論を学べば農村の現実から乖離してしまう。また自分がそこから出てきた農村を救うために運動に身を投じると、そのことが親孝行と対立する結果を招いてしまう。運動か、転向か。どちらにも裏切りと独善、そして幾ばくかの正義がある。中野重治の『村の家』の世界。