呪術性の結晶化としての(象形)文字と、文字の発明による「人生」の(物語化をつうじた)対象化。殷周革命の後、周の礼楽を整えた周公旦を思い出す。「人生が死のかなたに成立」するものである以上、「人生」は捉えらえきれないし、物語化は完成されない。貨幣が物象化されるのと同じように、人生も物象化されないように気をつけなきゃいけない。物語化に回収されない超越的契機は、それ自体で役に立たず、意味をもたないモノであるところに、逆説的に宿るわけだ。酒見賢一『周公旦』が「楚への逃亡」に物語の謎を設定しているのは、このように考えても、深い着眼であることよ。
それにしても今日は寒かった。
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/news/20101024ddm015070020000c.html
「つまり原始中国は残虐な供犠と呪術の世界だったが、周王朝のあいだにしだいに変貌を遂げ、さらに後世の孔子の時代には文明化を完成していた。白川の見た金石文の時代と、儒学者の漢字の時代では世界が違ったのであり、文字論争はどちらも正しかった。」
「人生が死のかなたに成立し、霊魂と同じく実体がないのと似て、人間という存在そのものにも実体はない。人は人として世間に通用しているから人間なのであって、その点、貨幣が通用するから貨幣であり、言語が通用するから言語であるのと同じである。」