「やたらめったら腹を割りたがる」のは日本人の悪いクセだと、丸山眞男が書いてた記憶がある。「腹を割れば他人と分かりあえる」という認識は、他者感覚の不在、要するに甘えに起因するというわけだ。しかし同じコインの裏表として、「ぜんぜん腹を割らない」というのもあり、これはこれでどうなのかと、少し前、感じたことがあった。田中真紀子風に表現すると、「家族と使用人以外は全員敵」って感じだが、不信ベースのコミュニケーションで物事を進めようとする人が確かに存在する。
「社交」とは、「昼の時間」と「夜の時間」の間にある「夕方の時間」であって、これが日本には欠如しているのだと、山崎正和が言ってたことがあったけど、甘えではない信頼関係というのがあると思うのである。まったくの冷徹さを貫くのもいいけれど、それならそれで、マキャヴェリのいうヴィルトゥというか、色気というものがあって欲しい。ただし「腐った組織」だと、田中真紀子的振る舞いこそが、出世の近道となるケースもあるわけだが。
こまごましたことが嫌で、気分わるい。