誰であっても、説明すれば分かってもらえる、というのが自分の基本的スタンスなのだが、それが行動原理として適切なのかどうかは、けっこう微妙だと思う。本当は、説明しなくても分かる、ことの方が重要なのかもしれない。暗黙知形式知で伝達しようとすることの無理とか、啓蒙主義的抑圧性とかってあると思うし、まあやってて自分でも嫌になることがあるし、他人が嫌だと感じることはもっとあるに違いない。そういう妙な伝達能力が発達していることもあって、たまに内省しては、不毛な疲労感を覚えることがある。相手方の消耗の事実も含めて。まあでも、説明抜きっていうのも、美学が勝ちすぎている気がするし、これは深い問題で答えは見つからないのかもしれない。(ほのめかしとか、逆説的レトリックとかで、美学と説明を両立させる場合もあるが、これも結局、究極的にはどっちかの立場に行きつくことになるだろう。)
とにかく疲れた。