浅田彰氏のご尊顔を拝みに芸大へ。岡崎乾二郎氏と若手哲学研究者、美術家(?)と4人でのシンポジウム。芸大の学生の雰囲気が面白い。
議論内容は、あまりよく分からなかったんだけど、どうも今更な感じというか、当たり前の内容の確認に終わっている感じがした。ポストモダンだから、芸術をやるにしても哲学をやるにしても、立ち位置が不安定なのは分かるが、立ち位置をめぐって理論的・哲学的考察をいくら加えてみたところで、「終わらない自分探し」と同じような内閉、閉塞を追認するだけで終わるのでは?すべては尖端(末端)だ、末端こそが本質的だから中枢は必要ない、とか、まあ言ってりゃいいと思うけど、「超越化された歴史的時間のなかに還元されることなく、同時に、加速する資本主義的現在にも解消されないような志向性」とか、そんなこと3時間もかけて話し合うことじゃないと思うんだけど。10分で終了すべき。「芸術」なんかをやってると、そういうことが気になるのかなぁ?(芸術と商品の区別とか、どうでもいい。映画はどうなる?)セザンヌと『アリス・イン・ワンダーランド』については興味がわいたので、良かったんだけど。
あと、主に司会に関してちょっと気になったのは、こういう議論で比喩を多用するのはあまりよくないんじゃないか。個人的好みかもしれないが、二項対立を回避するための繊細な比喩的物言いよりは、二項対立とそこから生まれるパラドクス、というかたちで、身も蓋もない明晰さを志向するほうが好ましい。立ち位置なんてどうでもいい。