「彼とわたしの漂流日記」か「アウトレイジ」か、どちらを観ようかと迷って、どちらも観られず。こういうときは脳が弱っている。
自転車に乗りながら、抽象的なものと具体的なものとの関係性について、つらつらと考えていたのだが、抽象的なものがヒトを興奮させるのは、「具体的なものの具体性」が回復されるからではないだろうかと、ふと思った。ふだんから馴染んでいるモノであっても、自明視された自然的連関から切り離して見れば(エポケー)、クラクラするような驚きをもたらすことがある。何でもいいけど、たとえば「人間」がこうやって「人間のかたち」をしていることって、なんて不思議なことなんだろう、と思ったことはありませんか?自分は、よく不思議がっている(とくに犬とか猫とかを見ていると、そういう気持ちにおそわれやすい)。要するに、ゲシュタルトの組み換えが「抽象」の働きだとすると、抽象化作用は具体的なモノを回復するから、楽しいのであって、そうすると「映画を唯物論的に観る」とか言ってるヒトは、原理的に「抽象」こそが映画の快楽であると言ってるのと同じことになるわけだ。飛躍してる?
六月は不快指数が高いが、アジサイを見る楽しみがあるね。日米安保改定から50年。