教えられて見たYouTubeで、苫米地英人が人生の目標として「戦争と差別のない世界を作る」と言っていたのを聞いて、若い頃の自分が完全に極左であったことを思い出し、案外、それって自分の原点かもしれないよな、などと随想に浸っていた。ウチの父親(kimmy)は陰謀論以外の政治的関心を持ち合わせないが、母親は「オカンはサヨクや」と左ウィングを公言していたので(のちにマイルドに右傾化)、自分は小学生の頃から影響を受けて、「どうしたら世界から戦争をなくせるのか」と真剣に悩んでおり、要するに、信じられないほど抽象的で観念的な少年であった。
その後、あまり夢見がちなのも困ると思って、いろいろ反省した結果、今に至っているわけだが、それでも「現実だけを見て、自分がさも現実主義的であると思っている人たち」を見ると、いまでも、心の底からムカムカする。現実主義者は頭が悪い(IQが低い)と、大正教養主義的味つけを加えて主張したのは、丸山眞男「現実主義の陥穽」であったが、差別はなくならないとか、戦争はなくならないとか、頭の良い人間がいうのはいいけれど、頭の悪い人間がいうのは、何となく許せないものがある(目の前にそういう人間が現れると、スイッチが入る)。