昨日に引き続いて『1Q84』についてであるが、『週刊文春』に内田樹氏の書評が載っており、こちらはネタばらしがないので配慮が行き届いていると思った。〈「父」を主題とした村上春樹〉的な文章で、「父」に傷ついた登場人物への注目が喚起されている。
このへんの謎解きはいかにも高級なテーマっぽいのだが、だいたいこういうネタは中沢新一氏のたとえば『緑の資本論』(ちくま学芸文庫)なんかを読んでみると、手っとりばやく知識を仕入れることができると思う。記憶で記すと、この本では、たしかイスラームの厳格な一神教と、トマス・アクィナス以降のキリスト教の三位一体解釈が対比され、後者が「ニセの父」としての聖霊(だったっけ?)の増殖をもたらすことで資本主義の社会システムを完成させたこと、さらにその「ニセの父」が現代人を精神的に閉塞させるに至っていること、などが指摘されていたはず、たぶん。
その処方には、真正なる超越性(真の父)の復活が必要である、とか、政治的に不穏当な解決法もふくめいろいろ書いてあるんだが、「個人を精神的に窒息させる「システム」(ニセの父)を乗り越える、真正な超越性の回復」という主題は、「二つの月」(ニセのシステムが支配する世界)からの回復をはかる『1Q84』の主題とまったく重なるものであることは確かだろう。まあ、こういうことを考えるのは、最近のはやりだと思うね。
毒舌づいて、どうも良くない。悪い子になってるね。