業務を早々に切り上げ、国立能楽堂千駄ヶ谷狂言「胸突」・能「三井寺」を鑑賞。大学の時に行った宝生能楽堂よりもハイテクであった。
三井寺」。息子の千満(せんみつ)を人さらいに奪われ狂女となった母親が、霊夢に誘われ三井寺へと赴く。中秋の名月の下、三井寺の鐘の音が鳴り響き、狂女の情念が切々と低く渦巻く。「月は山、風ぞ時雨に鳰(にお)の海、波も粟津の森見えて、海越しの幽かに向ふ影なれど、月はますみの鏡山、山田矢橋の渡し舟の、夜は通ふ人なくとも、月の誘はばおのづから、舩もこがれて出づらん、舟人もこがれ出づらん」、「霜天に満ちてすさまじく、江村の漁火もほのかに、半夜の鏡の響きは、客の舩にや、通ふらん蓬窓雨滴りて馴れし汐路の楫枕、うき寝ぞ変はるこの海は、波風も静かにて、秋の夜すがら月澄む、三井寺の鐘ぞさやけき」。まさに溝口健二雨月物語』の世界で、琵琶湖(鳰の海)という舞台はすばらしいと思う。
意志的主体が決然たる意志ゆえに人間を超える世界からの圧力(=運命)に屈し挫折する(あるいは、破滅をこそ意志する)というヨーロッパ的悲劇(『オイディプス王』とか何でもいいけど)と比較すると、日本の劇においては、意志の次元とは無関係に、どうしようもない情念、鬱屈した感情が人間を動かすのである。情念のどうしようもなさ、晴らさないではおくことのできない怨念の有り様について、息子との再会の場面で千満の母(狂女)がわりと雄弁に語っていて胸が打たれる。「またわらはも物に狂ふ事、あの児に別れし故なれば、たまたま逢ひみる嬉しさのまま、頓(やが)て母よと名のる事、我が子の面伏せなれど、子故に迷ふ枕の身は、恥も一目も思はれず」。
主体はそれ自体に固有の性能によって主体としてあるわけではなく、環境からの圧迫によってはじめて主体らしきものとして凝固しうるという構造は、マキノのような仁侠映画を想起してみても、日本を考えるうえでの重要な出発点であろう。それにしても昔、脳狂言などと理由もなく白眼視していたが、娯楽としてはなかなか素晴らしいものだと思う。