『SPA』の坪内×福田対談。司馬遼太郎歴史小説が教養のベースとなっている現状にケチが付けられ、福田和也司馬遼太郎歴史観なんてないと指摘。司馬遼太郎の小説はあまり読んだことがなくて、小中学生の頃は吉川英治、中高生は吉村昭をもっぱら読んでいたので、詳しいことは分からないのだけど、彼の歴史小説が歴史的事実そのものではない、とか、歴史観がないから低級だといった批判には、どうも納得できないものを感じる。
そもそも一般読書人にとって、「講談的教養」以上の歴史的素養が果たして必要だろうか。さらに講談的な語り口以上の、有効な歴史的語り口なんてどこかにある?乱世に生きる歴史的人物が、サラリーマン的日常に潜む様々な闘争と重ね合わされて味読されることは、それだけで十分に意味があるように思われるのだが。
あと「歴史観」って??福田和也歴史観なんて飾りみたいなもんだし、坪内祐三歴史観なんて存在するとは思えない。一個の歴史哲学が信じられた時代は終わったのであって、そういう意味でいうと、司馬遼太郎がオゴタイ=ハンが建設しまたたくまに消え去ったカラコルムの宮殿を描く筆致は、山崎正和流に「反歴史主義の文学」と言いたくなる、ひとつの見識(といえるほど意識的であったかは別にして)とも思われるのだが。
誕生日、中年まっしぐら。年齢と現状との間に説明のつかないことが多すぎる(苦笑)。