陳舜臣先生『儒教三千年』(中公文庫)を読んで、中国史における殷の特異性と重大な影響力について、考えさせられた。殷の神権政治は周において儀礼化され、「礼」にもとづく政治が行われる。殷の末期、すでに生贄による人間の殺害は減少しており、殷周革命は「神政から人間政治への転換」をさらに促進させたものと考えられる(21)。その上で殷の遺民を、周は次のように処置した。

周は殷を亡ぼしたあと、殷の人を宋に遷して、祖先の祭祀をおこなわせたのです。子孫の祭祀をうけられない霊魂は祟るとされていたので、かならず祭祀を継続させたものです。殷の先祖の霊魂が祟るとすれば、殷を亡ぼした周のうえに災厄がふりかかるでしょう。だから、周は殷の遺民を、団結できないように、ほうぼうに分散させる一方、一定の土地――宋という土地を、祭祀用に一部の殷人に住まわせました。ですから、宋人とはつまり殷人の末裔だったのです。(18)

果たして、墨子墨翟孔子老荘思想荘子は宋人であった。思想面・科学技術面における殷の文化遺産の巨大さは、並々ならぬものがあるらしい。

殷代の文化は極端な一極集中であったようです。殷末には西方で周が興起しまして、中央にたいする西の雄藩となったかんじですが、文化面ではほとんど問題にならなかったでしょう。青銅器ひとつにしましても、殷でみごとな品がつくられているのと同じ時代、周にはろくな青銅器はありませんでした。発掘調査によりますと、殷にとって代わって天下のあるじとなったあとも、周の青銅器は殷のそれには及ばなかったのです。
おそらく青銅器にかぎらず、建築、土木、交通、美術、工芸、あらゆる文化のジャンルで、殷は突出していたのでしょう。殷がほろびると、それらの文化の担い手は、廃墟となった殷都での需要はなくなり、地方に出むかなければならなくなったはずです。それによって高度な技術が、しぜんに伝播されたとおもわれます。(27)

むむむ。

儒教三千年 (中公文庫)

儒教三千年 (中公文庫)