人間はいつか必ず死ぬ。しかしこの事実は人生においてしばしば前提とされない。死んでしまえばすべては無であるのに、生きることには意味づけがなされるし、生きているなかでのあらゆる行為にもいちいち意味づけがなされる。死は見えないところに追いやられ、基本的に他人事になっている。だから、意味づけの無意味さが表面化しない。
だからみんな欺瞞的なのだ、などというつもりはなく、この機制自体、きわめて健全なことだろう。生きることは究極的に無意味だという諦念だって、情念のひとつでしかないし、人間は様々な情念に動かされながら生きていくしかない。「生きる意味」なんてないけれど、「悟り」や「達観」などという境地だって、ないっちゃない。
自虐の詩』で「人生には意味がある」という感動的なセリフがあったが、あれは否定神学的なひとひねりが感動的なわけだろう。