庵野秀明『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009)

EVANGELION:2.0 YOU CAN (NOT) ADVANCE.
監督 庵野秀明(総監督)、摩砂雪鶴巻和哉、製作総指揮 大月俊倫庵野秀明、脚本 庵野秀明、出演者 緒方恵美林原めぐみ宮村優子坂本真綾、音楽 鷺巣詩郎、主題歌 宇多田ヒカル

「世界がどうなろうと自分には関係ない」という自閉性、「しかしそのような世界を不条理にも生きぬかなければならない」事実がもたらす存在論的不安、これらはもはや「確認済みの主題」にすぎない。つぎの瞬間には使徒と戦って死んでいるかもしれない、という状況において、なぜあえて世界と関わろうとするのか。そこに理由は見つからないし、端的で偶然的な(きまぐれな)意志が行動を決定するにすぎない。「大人になれ」というメッセージに説得性は見出しえない。世界が滅ぶのになぜ大人になる必要がある?
世界と関わることは必然ではないし、世界からの乖離の感覚こそがリアルである。個人は世界(=他者からの承認)から見放されているし、世界(=他者)にあえて関わることは新たな痛みを付け加えるだけだ。これがすべての出発点。
それでも、ポリスの自明性を喪失したペロポネソス戦争後のギリシア世界で、ソフィスト的感受性が(ソクラテスプラトンにとってみれば)「確認済みの主題」でしかなかったように、次に問われるべき主題は、ではその端的な意志はどこからやってくるのか、という問いにならざるをえない*1。『1Q84』と同様、「愛(ともだち?)」という解答の現代性をここでもやはり確認することになる。「他者としての他者(=他者性を備えた他者、自分を拒絶するかもしれない他者)」になぜ、いかなる動機で関わるのか*2
衝撃的な大傑作で、これは世界的達成。いろんなことがあまりにも異様かつ圧倒的で、心底感動した。新キャラの声優は桜蘭高校のハルヒちゃんと同じ人らしい。新宿ミラノ

*1:それはサヴァイヴァルでも決断主義でもない(『death note』)。プロタゴラスは乗り越えられなければならない。

*2:ついでに言うと、「いろいろと背負ってしまった大人」ではなく(居酒屋のミサトさん)、「世界がどうなろうと自分には関係ない」という感受性をもった「子ども」こそが、愛と救済に開かれている。行動原則が世俗的理由に還元されないのが子どもだからだ。したがって、子どもこそが「他者性(=他者としての他者)」に直面しうる!!子どもが子どものまま成熟する!!これは新しい。「大人の事情に利用される子ども/大人の事情を利用する子ども」という図式も明示されていた。