おまえのその会話における過剰適応は何なんだ?という話になり、いろいろ聞いてみると、子どものころ不適応だった過去があるらしく、本人的にはそれを矯正して今日に至ったらしい。いやでも、部分としてはたしかに最適解でも、全体としての不合理性が隠しようもないという意味でやっぱりいまでも不適応なんじゃないの?、どうせ不適応なんだから、不適応な自分を怖れずに前面に出していけよ、と。誤解されたり受け入れなかったりするリスクをきちんと引き受けよ、全面的承認などという甘い幻想を喪失する痛みこそが成熟をもたらすのだと江藤淳的説教。