山崎貴『ALWAYS 三丁目の夕日‘64』(2012)

物語の舞台は、前作のラストから約5年後の昭和39年、東京オリンピック開催の年。戦後19年目にして見事な復興を遂げた日本は、高度経済成長の真っただ 中にあり、熱気にあふれていた。開会式の日、航空自衛隊のアクロバット飛行で作られた五輪マークの飛行機雲は、人々の心を躍らせ、日本がもっともっと良く なっていくことを確信させた。そんな中、夕日町三丁目では、以前と同じように、人情味溢れるやり取りが繰り広げられていた。もうすぐ家族が一人増える予定 の茶川家、事業も快調で“日本一の会社にする“夢にまっしぐらの鈴木オート。三丁目の住民たちは、それぞれに賑やかな日常を過ごしているが、中には人生の 転機を迎える人もいて……。(bald9)
監督:出演:吉岡秀隆堤真一小雪堀北真希ほか

このシリーズは傑作。『ALWAYS 続 三丁目の夕日』も見ないと。
高度成長期の東京は、東京タワーを中心とする巨大なムラ社会だったのではと思える。日本は結局、家族主義を原理とする社会なのだ(それは家族が個人化すれば、一挙に連帯が失われる社会でもある)。田舎の人間関係が都会に移され、家族的紐帯が反復される。それが、この時代の東京であり、ひいては国民国家としての戦後日本だったのではないか(もちろん「家族国家」としての負の側面は指摘するまでもないけれど)。堀北真希と鈴木オートの社長夫妻の疑似家族的関係性しかり。父親から勘当された小説家・茶川が、故郷の家族的記憶を東京で反復することしかり。この映画に懐かしさとか、共感とかを覚えるとすれば、それは現代の日本人の家族主義DNAに訴求しているからではないか。
「貧しくても夢があった時代」から「みんなが上を向いているけど、でもやっぱり家族が幸せだよねと確かめられた時代」へ。そこに顔を出しているデフレ的価値観は評価できないけれど、東京というムラ社会(ムラの祭り=東京オリンピック)、あるいは国民国家という確固たる共同体が紡ぎ出しえたと(現時点で再帰的に甘受される)濃厚な共感の原理をうまく突いた作品だと思う。タイムスリップしたかのような情感を喚起する、CG技術による俯瞰表現は相変わらず素晴らしい。