成島出『聯合艦隊司令長官 山本五十六 ―太平洋戦争70年目の真実―』(2011)

出演 役所広司山本五十六)、玉木宏(真藤利一)、柄本明(米内光政)、柳葉敏郎(井上成美)、阿部寛山口多聞

普通に面白かった。半藤一利が原作みたいだが「こうすればアメリカに勝てたのに」という怨念が籠もっていて、これは小国民世代史観だな。山本五十六英雄史観は、これを裏返すと南雲忠一悪者史観になる。
(1)真珠湾攻撃。自軍の損傷を嫌った南雲忠一が退避せず、空母を撃滅し石油タンクを破壊していたらアメリカに勝てたはず。(2)ミッドウェー海戦アメリカの空母を誘き寄せる作戦を無視した南雲が、きちんとはじめから航空機に魚雷を装備していたら、負けずに済んだ(魚雷の装備転換に手間取って敵機の襲来を防げなかった)。
しかし、これはおそらく歴史的解釈として争われる部分があるだろうし(南雲が無能でなければ勝てたのか?)、また仮にこの通りの事実だったとしても、山本五十六が英雄視できるかどうかは微妙である。海軍内だけでなく、政界や陸軍などとのコミュニケーションも明らかに上手くいっていないのだが、その責任は、連合艦隊司令長官である山本にも確実にあるような気がする。
あと、「歴史から学べ」的なスタンスで、部数を伸ばすために世論を煽ったマスゴミ批判とか、根拠なしに空気に流される官僚的思考批判とかが展開されているのだが、そりゃ確かにそんなことがあっただろうと思う一方で、映画の作りが「歴史から学んで現在に生かす」ではなくて、「(「歴史から学ぼう」と思わせるように)現在の問題から逆算して歴史を再構成している」感がなきにしもあらずだった。あざとい。
ただし、この映画がユニークで興味深いのは、愛国的ナショナリズムの描かれ方だと思う。海軍における山本五十六らの人間関係は、薩長ではなく佐幕派であり、愛国心についての微妙なねじれがある(山本は米百俵の長岡藩)。さらに陸軍ではなく海軍という舞台設定も、戦前の軍国主義への批判対象から、微妙にずれた形になっている(海軍はリベラルという理解)。つまりここには、「真の愛国主義」というカテゴライズによる、ナショナリズム批判とナショナリズム肯定が同時に観察されるのである。しかしこのようなポジショニングが、山本を「英雄視」する前提の上に成り立っているのだとしたら、これについてどう評価すべきかはなかなか難しい問題だろう。