一息ついてノルマはゆるめにして、“マンガで分かるベンヤミン”ケイギル他『ベンヤミン』(ちくま学芸文庫)を読了。まるで映画を見ているようで、良い出来だと思った。美学だのカバラ思想だのマルクス主義だので、ハイブリッドすぎてわけがわからないというか、意図的にわけがわからない発想を求めた人なのだろうと思うが、とにかく絵がいい感じになっている。
ちょっと思いついたのだが、というかちょっと思いついたことを無責任に書くのがブログだと思うので書くのだが、「酒井順子が量産しつづけているエッセーって誰が読んでいるんだろう?」とふと思った。京觥本とか、鉄道本とか、新ジャンルにも手を出しているようだが、基本的には「良質なアエラ」的なイメージなんだろうと思っているのだが、しかし「良質なアエラ」的な本を量産するのって「それが量産された場合のうっとうしさ」があると思うのである。たぶん、だけど。自意識を掘り続ける自意識のうっとうしさ、というような。それがうっとうしいと感じられるほどにそこでの営為が自明化&陳腐化している、というような。そもそも「良質なアエラ」って、「キメの細かいうんこ」みたいな感じだし。