数日前に思ったのだが、「ポルノのせいで性知識が歪む」という言説はフェミニストによっても保守論者によっても唱えられるが、「ポルノで描かれる性と実際の性体験とは違う」という物言いは、今や性体験のない青少年にとってもクリシェなのではないか。たしかにマニュアル優位な時代はあったかもしれないが、「マニュアルは所詮マニュアルだ」という認識も、ずいぶん前から自明化した。さらに「知識の次元で完結する知識/体験と直結して始めて意味をもつ知識」と区分してみるなら、性体験とはあきらかに後者のことであって、要するに「知識が体験によって修正される可能性」におおく開かれている。むしろ知識の次元で自己完結する問題系の方が「歪んだ知識」の弊害は大きくなるだろう。例えば、「新聞のせいでマクロ経済学的知識が歪む」という現象は、現実にひろく観察されるが、これが修正される可能性はかなり限定されたものでしかない。セックスでは他者と遭遇せざるをえないが、新聞を読んでいても他者と遭遇できる可能性は低い。勿論、セックスが他人の身体を使用して行うオナニーであるならば、そこに他者は存在しないけれど。
隣町に電源の使える良いカフェを発見したので、夜、ずっと作業。まずまず捗った。ノルマBは進められなかったけど、まあいいや。隣町地元化計画を進めよう(地元概念の拡張を図る)。