会話で数学の話題になって、「虚数ってのは(実在に対応していないので)意味がわからない」という人がいたので、「虚数が分からないなどと驚いているのは愚かであり、鈍感だ。実在に対応していないという意味では、小学校高学年で習う「分数どうしの割り算」がすでにそうだ。たとえば、3分の2のケーキを4分の3等分するって、意味わかる?」(大意)と、かねてからの持論を展開したのだが、「分数同士の割り算」のラディカル性はもっと気づかれて良いことだといつも思う。
そんなことを言ってるうちに、「じゃあ数学って何なんだ?」という話に展開したので、「実在に対応しているか/していないか、ということがポイントではない。実在としては存在しなくても、虚数にせよ、分数の割り算にせよ、〈論理的可能性として実在している〉わけだから、数学はそういった論理的実在性が探究される場なのだと考えればよい」と、なんだか難しい話になってしまったが、実際、そうなんじゃないかと思われる。
それでは、「論理的可能性として実在している」ことと、いわゆる「素朴な意味での実在」を区別する、特権的な分岐点が成立しうるのだろうか(=論理的実在性は限定なしにすでに世界における実在性なのではあるまいか)、と独りでつらつら考えていたのだが、「まるい四角」みたいな「論理的不可能性」は実在しているといえるのかと考察が「言語の限界」を突破してしまったので、「とりあえず飯を食おう」と考えを止めた。言語の限界を突破して「神」などが現れても困るから(現れないけど、笑)。