疲れて、頭が重い。疲れたら休む、これが鉄則。ところで、漢字がなくてひらがなばっかりだったら読むのが大変だと思うのだが、欧米人たちは英語とかずっと読んでても、平気なのだろうか?不思議だ。
『中原の虹』の一巻を読み終えたのだが、じつは『蒼穹の昴』には伊藤博文が重要な場面で出てきて、これが史実であることは、瀧井一博『伊藤博文』(中公新書)に詳しい。伊藤博文は戊戌の政変の只中、たまたま韓中を私的訪問しており、立憲政体樹立を望む変法派から助力を要請されたのである。伊藤はアジアに憲法を導入したカリスマであったが、しかし急進的な変法派に肩入れすることなく、むしろ漸進的改革の必要性を冷静に見てとっていた。実はこうしたバーク流保守主義ともいうべき、現実主義的で成熟した政治的思考態度が伊藤の本質だ、というのが瀧井氏の着眼点である。「文明」を尊び、シュタインに立脚して、政党政治を急進的に唱えた大隈一派(早稲田)の知識人らを「ヘボクレ書生」(78)と蔑むような知的態度こそが、伊藤の中核に位置しており、吉田松陰にはじまる世間一般の評価とは正反対に、伊藤の哲人王ぶりは際立っている。『蒼穹の昴』でのオーラのまといかたはダテではないのである(李鴻章に匹敵する存在感なのだから凄い)。政変を通じて伊藤が梁啓超の日本亡命に協力し、彼のポテンシャルを大いに買っていたというエピソードは、康有為に対する梁、松陰に対する伊藤との関係性の類似点から見て、なかなか興味深いと思うのだが。