新井白石折たく柴の記』での、勘定奉行・荻原重秀の書かれようのひどさといったらないのであるが、荻原の貨幣改鋳策と、新井白石の経済政策を公平に評価するとどうなるのかは、かなり疑問。荻原の貨幣改鋳策はインフレ政策のようだが、悪貨は良貨を駆逐する式に、貨幣の退蔵ぶんマネーサプライが減少しそうな気もするし、かりにインフレ&好景気になったとしても、米価が相対的に安価になって、石高制をとる幕府にとってはマイナスなのではないか、という気もする。逆に新井白石のように貨幣の質を元に戻したとしたら、ものすごいデフレが訪れそうな気がするわけだが、しかし石高制という面からみると、それは悪くないような気もする。よくわからん。
新井白石は、荻原重秀の棺をあばいてさらし者にして肉を寸断したとしても、愚鬼のようなやつであるから、反省も苦しみもしないだろうとか、かなりえげつないことを言っているのだが(中公文庫、P240)、じっさい世間的な評価としては、新井白石の方がたぶん上だろうと思う。これも『折たく柴の記』効果であろうか。ちなみにシドッチがピタゴラスの定理を利用して時刻をあてた、と、『西洋紀聞』でうかれている白石はどうやらシドッチのハッタリにすっかり騙されたのであるらしい。そしてこの白石の改革を荻生徂徠がどのように見ていたのか。荻生徂徠の『政談』は吉宗に捧げられた書物だが、この吉宗に白石は罷免されるわけである。