三木孝浩『ソラニン』(2010)

宮崎あおい高良健吾桐谷健太近藤洋一伊藤歩永山絢斗
OL2年目で会社を辞めた芽衣子(宮崎あおい)。音楽への夢をあきらめきれないフリーターの種田(高良健吾)。不確かな未来に不安を抱えながら、お互いに寄り添い、東京の片隅で暮らすふたり。だが、芽衣子の一言で、種田はあきらめかけた想いを繋ぐ。ある想いを込めて、仲間たちと「ソラニン」という曲を書き上げた種田。ふたりはその曲をレコード会社に持ち込むが…。(cinemacafe.net)

かなりの傑作ですばらしいのだが、共感できない大人が続出するだろうし、それはまったく当然のことだとも思われる。そもそも青春映画って、「すでに失われた青春」を切り取る大人の視点が存在しているべきであって、大林宣彦にしたって、相米慎二にしたって、二人ともロリコン的ではあるが、そうやって傑作映画を作ったのだと思う。でも、この映画を見ていると、作品の骨格を与えるメタストーリーが青春的混乱を反映してしまっており、それはそれで何らかのリアリティーを生んでいるのだろうけど、不満足だといえば不満足な部分が残る。たぶん、浅野いにおの原作のせいなんだろうな。
ともあれ、この映画を見ていると、これぞジャパンだという感じが強烈にしてくる。「やさしさゆえの不安」「不安ゆえのやさしさ」をループ的にたどりつつ、共同体(世間)なきあとの過剰流動性の只中を漂流する、不自由な日本人たち。矢沢あいの『NANA』とも通底するかも。たぶん、韓国だともっと個人が実存的に逞しくて、そのたくましさはおそらく強固な共同体道徳(儒教的伝統)が保持されていることに由来するのだと思われるし、またヨーロッパだって、これほどまでに「神が死んだ」状態にはなっていないんじゃないか。世間崩壊の悲劇。
ゆるふわ森ガール宮崎あおいは超かわいくて、「長澤まさみ」と「宮崎あおい」を両方演じられる宮崎あおいが、長澤まさみを完全に置いてきぼりにしている現状は、もはや当然だと感じられる。長澤まさみにはに「セーラー服と機関銃」のしょうもないリメークではなく、本物の相米慎二が必要だったんじゃないかな。なんてね。岩田さおりちゃん萌え。