昨夜から途中で90分睡眠を挟みながらもノンストップで作業をやりつづけ、マジで死にかけだった。死にかけの上に結局間に合わない感じになって、ギリギリアウトだったが、おまけでセーフになったのでまあ良かった。鬱状態なので敗北感に苛まれどおしだったが、でも明るく生きていきたい。
自転車を漕ぎながら考えた。「忙しい自慢」というのが根強くあるが、「自分はヒマ人じゃないから偉い」みたいなアピールは、20世紀的な遺物として葬り去られるべきだ。もちろんやらなきゃいけないときはやらなきゃいけないが、恒常的に忙しいというようなケースは何かが不合理だと考えるべきで、自分の仕事の合理化が十分でないか、自分の職業が置かれている社会それ自体が不合理かのどちらかだ。多忙にマゾヒスティックな快感を覚え出したりするのは、モダンの呪縛にとらわれているせいで、ワークライフバランスっていうのは、誰かが真剣に実現を考えないといけない。すると今度は、ヒマな時間を合理的に使いましょう、みたいな勝間和代的倒錯も出てくるわけだが。
仕事が自己形成にとって必須であるとしても、これだけ社会が複雑化すると、仕事で自己形成することが局部システムへの適応を意味するだけになりかねない。それ以前に、仕事が局部システムでしかないことのリアリティがすでに増大しているのではないか。たとえば政治家でいえば、松下政経塾出身者みたいな、どうしようもない小粒感(ただし、前原は頑張っている)。自己形成は多元的になさなければ、豊かなものにはなりえない。それすら限界があるというのが本当だろう。